平成元年(1989年)頃、弊社はある大型のプロジェクトに取り組んでいた。ある大手液晶プロジェクターメーカーH社からスクリーンのOEM生産依頼をうけて、複数社によるスクリーン生地開発の競争入札に参加する。
その当時は液晶プロジェクターの出力が十分ではなくスクリーンゲインに大きな期待をかけられており、なによりも特殊高輝度スクリーンが求められた。スペック上の輝度数値のみが云々され拡散性は犠牲にされたスクリーン生地が求められていた。
弊社のスクリーンで受注できたが、この高輝度スクリーンは、生地生産上でも歩留まり(不良率)が悪く、工場での生地加工、組み立ても難題山積みであった。マスク塗装すると、その場では合格になるが、数日から数週間で平面 が崩れる問題に直面する。出荷検査時点では判断できないで、実際に顧客の手元に届いて数週間の後に変化が起こった。H社内部で大問題となる。この問題はマスク塗装を止め、マスクを印刷加工することで解決したが….
当時のスクリーン素材も同じ状況であった。新しいスクリーンとして使えないかと、数社から売り込みがあり、サンプルや試作品の提供が多くあったが、スクリーンメーカーとして、希望する新しいスクリーン素材の開発要請項目としてスクリーンゲインしか提案できなかった。
より重要なぎらつきとか輝度むらなどを感覚的に感じながら・・・ これらの感覚を理論的、数値的に提案する方法がなかった。
現在のウルトラビーズの開発も91年頃から協力業者と共同開発してきた。その中で意外なことを再確認した。当時はCRT3管プロジェクターが主流でその大手メーカーS社の技術者と、弊社の工場で評価をしていたところカラーシフトが出ていることを発見した。できる限り均一なガラスビーズを均一にスクリーン面に接着することでビーズの脱落を防ぎ、希望される高いゲイン(2.4)を得ている。
ところが、この均質、規則性(ビーズ粒径がそろっている)がスクリーンにとって別の側面からは欠点となりうることがわかった。
液晶プロジェクターの偏光特性を利用した偏光タイプスクリーンの販売もした。
しかし、この製品は量販店の店頭で3板の偏光方向が統一されていないタイプの液晶プロジェクターによって色ずれを起こしながら展示されていた。非常に高価であり、その特性を生かすことができれば企画開発の思いは叶うのだが、笑わざるをえない状況になっていた。
当社で販売した反射タイプスクリーンへのAV雑誌へのユーザーの投稿に「大枚をはたいてスクリーンを買ったのに、最近スクリーンの皺が気になり出しました。こんなものでしょうか?」とあった。このエピソードから弊社などスクリーンメーカーによるスクリーンの的確な使い方の説明責任を痛切に感じた。
スクリーンメーカーとして過去の経験、反省から、説得力のあるピークゲイン以外の数値での評価基準を持つべきだと考え始めた。
またその基準を持ってある映写 環境下でどのような映写状態になるのか計算推定できるように考えS特性(皺特性),M特性(明室)(下図)をスクリーンの性能評価の基準に加えた。
廉価スクリーンの代表格、ホワイトスクリーンが生産歩留まり平面 性で問題が長引いていた。88年(昭和63年)の頃から綿布の染めと振り落としから生ずるオレジワや折りムラなどで不良に生地加工の外注先は悩み抜いていた。通称ツヅレエンボス生地も液晶プロジェクターとのモアレ(干渉縞)の問題があり改善検討の状況にあった。
価格と平面性を両立させことをネライとして新しいホワイトマットWG-103TRの開発生産を開始した。綿生地と異なった性質からしばらく工場への問い合わせやクレームが耐えなかった。また社内においても表裏塩ビシートのため滑り性が劣り、工場現場での加工時に作業者が違和感を覚え、扱いが難しいと苦情が続出し生産性があがらなかった。
しかし、この頃から、弊社のスクリーンの基本は「ホワイト」であると、確信し始めた。98年1月 HiVi誌、F先生によるオーエスの取材に対して「高価イーコール機能、品質の充実ではない。高価なスクリーンがいいスクリーンとは限らない。ホワイトスクリーンが基本です。」 とあらためて業界誌で公言することになった。
しかし、理想のスクリーンへの道は遠い。ホワイトが基本といいながら弊社のホワイトを眺めてみると、映像ソフトが画素化(デジタル化)してきておりモアレ(干渉縞)の問題を引きずりながら改善されていない。 とりあえずいろいろ試してみよう。それがその当時の私の偽らざる心境であった。
当時、織物に詳しかった弊社の社員がスクリーンのことで機会ある毎に雑談を重ねていた。ある日の雑談の中に技術的な上昇スパイラルの話があった。それは復古的な技術であるが過去の同一技術から一段と進歩している新たな技術ということ。スクリーンの歴史をたどってみるとその昔は綿の布地に映写 をすることから始まっている。現状はポリ塩化ビニール、ポリオレフィン、PETシートなどがスクリーン素材として用いられている。
昔に戻り、スクリーン開発の一方向として、専門の布地で検討しましょうと話がまとまった。
織物の話の中で異形断面繊維の話などを聞いており、とりあえず集められる白ものの布地を集めて手当たり次第に投影し評価検討した。織り方、繊維などのありとあらゆるサンプルを取り寄せ始まった。開発で特性を測定比較してみると面 白い性質を呈するものが数多くあった。しかし、その多くがギラツキ、不自然な(スクリーンとして期待すると)模様がみられた。 ・・・なかなかスクリーンとして魅力がありそうなものが見つからない。
スクリーンの塩ビシートとその低温消却処分時のダイオキシン発生の問題も家電メーカーやマスコミに取り上げられていた。廃棄負荷の軽減にも貢献できる環境配慮のスクリーン素材がいる。布地で新スクリーン生地を開発してみようと結論をつけた。
一方では・・・ 自宅のホームシアターに基本のホワイトWG-103TRでスクリーンを作った。下巻きで収納と移設も自由な片付けシアターだ。 不満はないが何か問題もありそうだ。基本はホワイト!この103で本当に不満はないか自問自答を繰り返してみる日々・・。
ある時プロジェクターをスクリーンに限りなく近づくと何かしらピークを感じる、正面 では確かに光沢がある。これはではだめだ。ホワイトが基本と言っているスクリーンメーカーとして恥ずかしい。それとなく、弊社の複数の社員に「103に改良が必要だネ~?」と話しかけるが皆、無関心無反応である。営業は 「ユーザーはハイゲインスクリーンに注目しています」一本やり。社内の理解者も少ない!!!
繊維によるスクリーンが、とりあえず出来上がった。
「派手さはない、ゲインは低いが自然な、おとなしい感じがいい」と自分は思うが、皆口々に「ゲインが低い、暗い」の話が多い。すこし我慢をしていたら評価が変わるかナ?・・・
業界や社内の理解も少ないため、当面は環境配慮スクリーンで展開しよう・・・ これがピュアマットの最初の売りこみ文句であった。
そんな中で検証をしているとじょじょに、社内の理解者が増えてきた。「このスクリーンなかなかいけますよ!」「自然な感じがしますよ!」 といった評価だった。ある社員は自宅でウルトラビーズスクリーンを使ってホームシアターを楽しんでいる。 ピュアマットに何かしらの良さを感じるようだ。「そうだろ!なかなかいけるだろ!ウルトラビーズは明るすぎて不自然、長く映画を見ていると目がつかれるだろ?」 とけしかけ暗示をかける。
ぱっと見に良さは感じないかもしれないが使ってみるうちに魅力がにじみ出てくるスクリーンだと思う。
2000年8月には画質学会に試作生機をジョイントして100インチ張込スクリーンでお披露目した。ホワイトスクリーンの定義に限りなく近いスクリーンと紹介する。参加者の反応はまだスクリーンゲインに目がいっており、スクリーンタイプの違いによる差の大きさに興味があったようだ。 画質学会ではスクリーンの3タイプの違いと人間の生理的な明暗順応、色順応の話をした。学会最終の懇親会ではピュアマットは話題に上らなかった。
映画、ビデオの映像処理で有名なI社のAさんと懇親会で話ができた。どの上映場所でも同じ映像再現になるようにするためスクリーンの映像再現の中に、たとえば色温度が上映場所で違ってはいけない。フィルムと光源ランプが容易に調整できないフィルム映写 装置では一定のスクリーンを使うべきだ。スクリーンの中立性(癖がないことの)が重要であり、また映画制作サイドはそれが基本と考えていることが分かった。
この学会での発表準備にCINE8調整にバルコ技術者のUさんが半日以上かけて調整しながらピュアマットを視てもらった。
「このスクリーンは新しいスクリーンですがどうですか?」 と怖々聞いた。「面白いスクリーンですヨ!プロジェクターの調整素直に反応してくれますね。」・・「いいスクリーンです。」 との返事をもらう。しかし、学会ではあまりいい反応はいただけなかった。
ゆっくり行こう・・。
2000年12月 AV評論家K先生とお会いする機会があった。どんなスクリーンが望ましいか専門雑誌某編集統括の計らいで雑談をしながら・・・ K先生はスクリーンになる素材を過去色々実験したとの話しがあった。「木綿の生地をスクリーンにしたのが一番よかったような・・・。」 昔、夏の夜野外で生成か晒しの綿布を縫い合わせ竹竿を両脇に立てスクリーンとして映画の上映があった。あのころのスクリーンの良さが・・・K先生のリファレンススクリーンとのこと。
2000年12月 弊社東京本社で、AV評論家にお集まり願い、大々的に新製品発表会を開催。そこでの評価は残念ながら、良いものではなかった。「ゲインが低いね」 の一言で片付けられる先生が多かった。
2001年2月ある雨の降る寒い日 K先生宅にお邪魔し、100インチの張込フレームを持参。スチュワート130HDに対しピュアマットとホワイトマットWG103を比較評価いただいた。
「面白い??スクリーンだね~。」ソフトは『恋に落ちたシェークスピア』で、キーワードは「孔雀の羽と女王の金の襟」。「エンタテイメント性がある」とのこと。
ピュアマットは率直でプロジェクター調整に反応する。こんな微妙な表現が分かるスクリーンだったのだ。
HiVi, AV Review等、専門誌での広告掲載が開始された。営業も専門店に持ち込むが、ほとんどのお店で 「輝度が足りないのじゃない?」 と冷たくあしらわれた。展示をしてくれるお店は限られたものだった。おかげで売上はほとんどなく、 弊社の考えが市場に伝わらない、もどかしさを覚える日々が続いた。
そんななかで、「ピュアマット伝説」が生まれた。一部の専門店や、消費者から 「このスクリーンはいいじゃない?」 という声がひそやかに、しかし、確実に広がり始めた。広告の効果 もあったのかもしれない。「自然な映像」「色付けがない」 など、「見てみたい!」 という愛好家が増えたが、どこにも展示されていない。従って 幻のスクリーンとの評判が立ち、そのおかげで、更に 「見てみたい!」 という人が増えるという結果になった。
しかし、ピュアマットは生まれた時期がよかった。
2001年春 Sonyのホームシアター用プロジェクターの銘機VPL-VW10HTがVW-11として生まれ変わった。この製品は市場に出る前に、HiVi誌の「ベストバイ」アイテムに選定されるほどの人気をはくした。プラスからはHE-3100というDLPの低価格プロジェクターが市場を暴れまくっていた。ヤマハのDPX-1が登場したのもこの頃であった。これらのプロジェクターはそれ以前のものと比べると各段の性能の差を示している。プロジェクターの光量 不足をスクリーンのゲインでカバーする時代の終焉を告げる出来事であった。
2001年の5月 営業の連中は、売れ始めたピュアマットの成績に満足していた。更に人気は急上昇するとの予想であった。しかし、個人的にはある点が気になって仕方がなかった。
自分の家ではスクリーンの取付け位置がなく、やむ得なく窓際で使っている。ピュアマットでは窓から入ってくる外光がスクリーンを透過するのだ。営業の連中に、「何か問題はないか?」と聞くが、誰もこの問題を指摘しない。
ピュアマットをサウンドスクリーンとして使っている話があるが、音の透過するスクリーンだから光も透過する。それが問題にならないのはおかしい!と雷を落とす。 スクリーンメーカーの営業が実際に使ってみなくて、どうしてお客様の不便や問題を理解できるのか?!
早速、改善のための試作第二弾はピュアマットにバックコートすることにした。
2001年6月 一次試作のグレーのバックコート付きピュアマットが届き、社内のメンバーで見る。一部の社員は 「あれっ?なんかイメージしていたものと画質表現が違うぞ!」 と主張。 しかし、大半の社員は画質の違いは分らないとの評価。
ピュアマットを最初に評価頂いたK先生にお見せしようということでK先生を東京本社に招き視聴。現行のピュアマットとバックコートグレー(N6.0 :社団法人日本塗料工業会、標準色票番号)付きを並べて視聴。ソフトは『ジョーブラックをよろしく』と『恋に落ちたシェークスピア』で、K先生から一言「スクリーン屋サンだったらこの違いを解らないと・・・」。 Kマジックなのか? グラスの水の透明度やネックレスのパールの輝きが微妙に違うとの指摘。N6.0のグレーではなくて赤みのかかった褐色も作ってみてはどうかということになった。
6月末にマルチメディア研究会におけるスクリーン勉強会があったとき、S誌元編集長のOさんから 「バックコートや表面を少しブルー系の色合いを持たせるとフォーカス感がシャープに感じるはずだ。」 との提案があった。褐色もつくるのだから、ついでにブルーも作って検証すればいい、と判断した。
2001年10月ローズとブルーのバックコート付きピュアマットの試作が完成。
昨年のInfocomm展示会の時講演でお世話になったF先生をお招きする。
ローズ・ブルー・グレー・現行で比較視聴。プロジェクターは三菱 LVP-2001。ソフトは『ジョーブラックをよろしく』と『恋に落ちたシェークスピア』。ローズは色がつきすぎているとの話で、3色の中ではグレーが自然で一番いいのではないかな?
しかし、ブルーはフォーカスがあって立体感のある絵になっているとのこと。ブルーも面白いとの評価だった。
2001年10月中旬 東京本社にK先生をお招きする。
これで3度目。ローズ・ブルー・グレー・現行で比較視聴。ソフトも先出のF先生と同じ。「グレーが一番面 白くない。ローズがいいと思っていたけど今日はブルーだね~」
2001年10月末の社内会議でブルーとグレーで白熱。ピュアマットのコンセプトからしてグレーが良いとの見解とコントラストのはっきりするブルーでなければ意味がないとの相違で会議は紛糾。グレーをもっと黒っぽくしたほうがいいのではと思い始める。
2001年11月中旬 新たにA先生来社。「三色の中ではブルーだが、黒はやらなかったの?」との話有り。やはり色の違いははっきり見て取れた。ソフトは『恋に落ちたシェークスピア』と古い映画『カサブランカ』。備長炭ブラックと言えるような黒のスクリーンを濃い目のグレーと一緒にやってみることにする。
2001年12月に試作品2点完成。備長炭ブラックのN2.0と濃い目のグレーN4.0。
12月中旬 A先生をお招きする。先生は、「キャストアウェイの鯨とハンニバルの脳みそがおいしそうか?」という少し寒気のする見所を教えてくれた。A先生は個人的には備長炭ブラックのN2.0が好みだが、それがJBLだとしたら、N4.0はタンノイのように、それぞれにいい所があって、好みの問題になるといわれる。どちらにしてもこのスクリーンは日本発のホワイトマットのリファレンスだと絶賛いただく。A先生は、ついに自宅のスクリーンを入れ替える時がきたとおっしゃっていただく。
2002年1月末 K先生最終プレゼン。ソフトは『ジョーブラックをよろしく』と『恋に落ちたシェークスピア』。液晶プロジェクターにゼラチンフィルターを使って実験。(3管は無し)結果 、スクリーンで色付けせず、プロジェクターやフィルターで補正した方が安上がりでいい絵ができると評価いただき、色付けしない方向が間違っていなかった事を確認。
2002年2月初旬 某専門誌S社にN4.0でプレゼン。ソニー VPH-G70とスチュワート・ウルトラマット130での比較の結果 は良好。ウルトラマットのカラーシフトがかなり気になる。Y編集統括がウルトラマットの弱点が気になりだしたようだ。人の肌や青空のなめらかな描写の中にノイズを感じる。それに比べピュアマットはなめらかな感じを受ける。絶賛の一語につきる。
上記のようにN2.0とN4.0へのさまざまな画質評価があり、見解がわかれたが、バックコート加工の本来の目的はスクリーン背面 に窓などがあり、外光が発生した場合、スクリーンへ投影される光と相殺され、コントラストに影響が出る。これを防止するために、背面 に塗料を塗る。光を反射するには白、光を吸収するには黒の塗装が望ましいが、ここではその中間色をとり、双方の効果 を狙うこととし、最終的にN4.0のバックコートで進めることにした。
最後にピュアマットII の特徴をまとめておくと
1)プロジェクターの高出力化にマッチしたスクリーン
2000年を迎え、プロジェクターの光量は500アンシルーメンを上回るようになった。1990年頃のプロジェクターは暗くスクリーンにその補完をもとめた。スクリーンメーカーはゲイン2.0以上の物を求められた。プロジェクターの光量 の不足をスクリーンで補うことが求められた。プロジェクターがどんどん明るくなっている今、ゲインの高いスクリーンは、古いプロジェクターや、周りの外光がカットできない環境下での使用にのみ有効となる。ピュアマットはカラーシフト、ホットスポットの回避する。ゲインチャートを見ても拡散タイプ以外は大きなピークを持っていて特徴を示している。それが映像や色彩 を「自然」ではなくしてしまっているのである。
2)使いやすいスクリーン(ユーザーにとって)
完全拡散、皺をきにしない。(ビーズ、パールともにゲインは高いがその性能を発揮する設定は限られている。使い方の難しいスクリーンである。) 通常のマットでは拡散不十分である。ピュアマットはより高いレベルの拡散性を求めた。
3)映像のデジタル化によるモアレ発生を配慮したスクリーン
液晶プロジェクターではその画素線とスクリーンの組織的綾線の干渉によるモアレ(干渉縞)の発生を防ぐ。ピュアマットでは織物の中から組織的綾線がハッキリしないものを選択し、更に特殊な組織として経緯糸のつくる組織をランダムに織り合わせたものを使用。モアレ(干渉縞)を極限まで抑えることに成功。
4)環境負荷のより少ない素材
OSは地球環境問題に積極的に取り組み、ISO14001を取得、地球環境保全活動の一環として、塩ビ代替製品の開発を急いでいる。ピュアマットは塩ビを使わない繊維織物であり今後の主流になる素材である。